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この身は、世の中を嫌に思う山辺の草木なのか、「あな憂」と卯の花が咲くように顔色に出てしまったようだ、という歌。
これを憂き世に咲いた卯の花の歌と見ることもできるが、微妙なところである。 「とや」が使われている歌を見ると、136番の「あはれてふ ことをあまたに やらじとや」という歌では桜が主語となっているが、762番の「玉かづら 今は絶ゆとや」という歌では、「玉かづら」は譬えである。 「あな」という感嘆詞の感じと、「色にいでにけむ」という言い方からすると、やはり自分のことを卯の花に譬えて詠ったものと思われる。似たような歌に 668番の友則の「山橘の 色にいでぬべし」という歌がある。 「あな」という感嘆詞が使われている歌の一覧については 426番の歌のページを参照。 「色に出づ」という表現を使った歌の一覧は 663番の歌のページを参照。
また、かなの手本としてポピュラーな 「高野切第三種」では、二句目が 「いとふやまぢ(山路)の」とあるので、その方がしっくりくるかもしれない。こうした伝本による違いは上げるときりがないが、例えば次の宮道潔興(みやじのきよき)の歌などでも、「高野切第三種」では二句目が 「このもかのもに」となっているので、それに先に親しんだ人は違和感を感じることもあるだろう。
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