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- 神無月 ・・・ 旧暦十月
- ふること ・・・ 古い言葉(古言)
詞書は 「貞観の御時(=清和天皇の時代)、万葉集はいつ頃作られたのかと下問があったので、詠んで献上した」歌ということ。文屋有季(ありすゑ)は生没年不明、仔細不詳。古今和歌集に採られている歌はこの一首のみである。
歌の意味は、これは十月の時雨が降りかかる 「ナラ(楢)の葉」という名を持つ都の時の、古き言葉でございます、ということ。 「ナラ(楢)」に 「奈良」を掛けている。 "降りおける" とは時雨を霜のような感じに譬えたものであろう。時雨が染め上げた楢の黄葉というイメージを万葉集に添わせている。 "神無月" と言っているのは、万葉集の成立とは関係がなく、「時雨」を導くためのものだが、下問があった時の季節に合わせているとも考えられる。 「名に負ふ」ということでは 411番の「名にしおはば いざ言問はむ みやこ鳥」という歌が思い出される。
平城京遷都は 710年、平安京遷都は 794年。貞観年間がはじまったのは 859年、貞観から元慶に変ったのは、877年四月であるので、古今和歌集の成立を 905年とすれば、当時でいうとこの有季の歌自体、約三、四十年前のものということになる。
この歌では万葉集の成立について 「平城京の時代」としているが、真名序の 「昔、平城の天子、侍臣(じしん)に詔(みことのり)して万葉集を撰(えら)ば令(し)む」と言っている 「平城の天子」や、仮名序の「いにしへよりかく伝はるうちにも奈良の御時よりぞ広まりにける」および、次の歌の作者として書かれている 「奈良帝(ならのみかど)」は、その歌の内容からして、平城天皇(774-824)を指しているようである。平城天皇は桓武天皇の第一皇子でその即位は 806年であるから、当然それは 「平安京の時代」である。
これを情報の混乱があったと見るか、「ならのみかど」(平城天皇)と 「ならのみやこ」(平城京)を区別していたと見るかは微妙なところである。
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