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       深草のみかどの御国忌の日よめる 文屋康秀  
846   
   草深き  霞の谷に  かげ隠し  照る日の暮れし  今日にやはあらぬ
          
        詞書にある「深草(ふかくさ)のみかどの御国忌の日」とは仁明天皇の命日のこと。仁明天皇の崩御は 850年三月二十一日。現在の仁明天皇陵は、京都府京都市伏見区深草東伊達町にあるが、この歌で詠われている「谷」はもう少し北の伏見区深草真宗院山町あたりのことかと思われる。

  歌の意味は、
草深き霞の谷にお隠れになり、光り輝く日が暮れた、それが今日この日ではなかったか、ということ。 「クサフ(ブ)キ  スミノタニニ  クシ」と、歌の前半は「か」の音が多い。 
「深草」から "草深き" とし、「霞−谷−影−日−暮れ」とつないで、 "暮れし" と過去形で一旦閉じて、 "今日にやはあらぬ" と結んでいる。 「にや〜ぬ」は反語で、まさに今日がその日ではなかったか、という意味。 「やは」を使った歌の一覧については 106番の歌のページを参照。

  文屋康秀は仮名序・真名序でいわゆる六歌仙の一人として上げられているが、その生没年は不明。こうした歌の詞書から仁明天皇〜清和天皇の頃の人物と知られる。古今和歌集には、この歌以外に四首が採られ、その他 938番の小野小町の歌の詞書にもその名を残す。ただし、そのうち百人一首でも有名な次の「山+風=嵐」の歌は、子の文屋朝康の作としている写本(高野切など)もある。

 
249   
   吹くからに  秋の草木の  しをるれば  むべ山風を  嵐と言ふらむ
     
        その文屋朝康の歌は一首だけで、次の歌ががそれに当たる。

 
225   
   秋の野に  置く白露は  玉なれや  つらぬきかくる  くもの糸すぢ
     
        その他にも古今和歌集には文屋有季(ありすゑ)という者の歌もある。

 
997   
   神無月  時雨降りおける  ならの葉の  名におふ宮の  ふることぞこれ
     
        文屋有季については康秀・朝康父子以上に情報が残されていない。仮名序・真名序でいわゆる六歌仙の一人としてピックアップされながら 「商人のよき衣着たらむがごとし」「賈人(あきひと)の鮮かなる衣を着たるが如し」と嬉しくないキャッチフレーズを付けられた康秀を筆頭に、彼らの状態は、古今和歌集という草深い霞の谷に影を隠し、在りし日の姿を照す光も失われて今日(こんにち)を迎えるという、この歌さながらのものとなっているとも言える。

 
( 2001/05/31 )   
(改 2004/02/11 )   
 
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