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大友黒主は生没年不詳。近江国滋賀郡大友郷の豪族とされ、1086番の歌の左注から 897年の醍醐天皇の大嘗会の際には生存していたと思われる。古今和歌集にはこの歌を含めて三首が採られており、その他 899番の歌には左注に「このうたは、ある人のいはく、大友の黒主がなり」とある。また、「古今和歌集全評釈(上)」 (1998 片桐洋一 講談社 ISBN4-06-205979-7)によれば、元永本などの伝本にはこの歌の詞書として「仁和御時中将の御息所の家歌合によめる」とあるようで、とすると108番や114番と同じ歌合に出されたものであるかもしれない。
歌の内容は、春雨が降るのは涙だろうか、桜の花が散るのを惜しまない人はいないので、ということ。散りがたになった桜を見に来ている人たちの前で、折りしも降ってきた春雨を、この雨はみなさんの涙でしょうか、と言っているような感じである。
あるいは、桜を惜しむ人の心に応じて、天が涙として雨を降らせたのか、と見ることもできる。とすると、それは仮名序の中で言われている 「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」に近いものがあるはずだが、その仮名序で黒主は 「そのさまいやし。いはば薪負へる山びとの、花のかげに休めるがごとし。」と散々な言われようである。また、六歌仙の中で唯一人、百人一首に歌を採られていない。この歌の出来は大江千里の 193番の歌などと変わらないような気がするのだが。
「春雨/五月雨/時雨」を詠った歌をまとめてみると次のとおり。
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