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恋しい気持ちがかなう方角というものがあると聞くが、立っても座ってもどのようにしても、この恋の行方だけはわからないなあ、という歌。 "恋しきが 方も方こそ ありと聞け" という部分が何を言っているのかよくわからない歌である。
"恋しきが" の 「が」は、後ろに 「方」という名詞があることから、「恋しき」を主語とする 「が」ではなく、「恋しきが方」、つまり「恋しき(XX)の方」と見る解釈が一般的である。 "方も方こそ" は、「方」を繰り返しと 「こそ」で強調した表現で、「そんな方」もというニュアンスである。 「方」という言葉を使った歌の一覧は 201番の歌のページを参照。 "聞け" は、「こそ」からの係り結びで已然形になっているだけで、命令形ではない。
問題は二点。 「恋しき(XX)の方」と省略されているXXの部分は何かというとと、ここで言われている 「方」とは何かということである。
「恋しき(XX)」のXXの部分として普通に考えられるのは 「人/こと/思ひ」ぐらいであろうか。 「方」については、まず考えられるのは 488番の歌の 「思ひやれども 行く方もなし」などの言葉から 「方向」ということであり、一つ前の 1023番の歌の 「せむ方なみぞ」というフレーズからは 「方法・手段」とも考えられる。 「行く方」も 「せむ方」も後ろに 「なし」が結びつき易いが、それをここでは 「ありと聞く」と逆に振ってから、結びで "なき心地かな" と着地させている。なぜ一度逆に 「あり」と言っているのかが、この歌のわかりづらい理由でもあるが、ここでは占いなどによって 「恋がかなう方角というものを聞いた」と解釈してみた。
"なき心地かな" という部分も主語がないが、次の陸奥(みちのく)の歌から類推すると、「自分の魂」が主語で、メインの意味としては、放心状態であるということを表し、それに 「行く方なし/せむ方なし」を合わせているものと考えられる。
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