|
|
|
詞書は 「桜の花が咲いたのを見に来た人に(後で)詠んでおくった」歌ということ。
花を見るついでに我が家に来た人は、散った後に恋しくなるに違いありません、という歌。
少しわかりづらい歌だが、訪れた人に面と向かって、 "散りなむのちぞ 恋しかるべき" と言うならば、それは 「邪魔だ」と言うのと同じだが、詞書によれば、「まうできたりける人によみておくりける」ということなので、後日送った歌である。どうせウチは 「花見がてらに」来る程度の場所でしょうから、花がなくなればあなたは来ない、ならば自分もあなたを 「散りなむのち」に恋しくなる程度の人と思いましょうか、というもってまわった言い方をしている。実際には 「花が終わってもまた来てね」という挨拶である。
"我が宿の 花見がてらに" という出だしは、意味としては、うちの庭の花を見るついでに、ということで問題ないのだが、「の」の感じがどことなく不安定であるのは、次の四つの歌と比べて、続く名詞での切れが悪いことが原因であろう。 1045番の読人知らずの歌の「野がひがてらに」と同じく、 "花見がてらに" という部分が強く、一つのかたまりとして感じられるためである。
|
|