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       さくらの花の咲けりけるを見にまうできたりける人によみておくりける 凡河内躬恒  
67   
   我が宿の  花見がてらに  くる人は  散りなむのちぞ  恋しかるべき
          
        詞書は 「桜の花が咲いたのを見に来た人に(後で)詠んでおくった」歌ということ。

  
花を見るついでに我が家に来た人は、散った後に恋しくなるに違いありません、という歌。

  少しわかりづらい歌だが、訪れた人に面と向かって、 "散りなむのちぞ  恋しかるべき" と言うならば、それは 「邪魔だ」と言うのと同じだが、詞書によれば、「まうできたりける人によみておくりける」ということなので、後日送った歌である。どうせウチは 「花見がてらに」来る程度の場所でしょうから、花がなくなればあなたは来ない、ならば自分もあなたを 「散りなむのち」に恋しくなる程度の人と思いましょうか、というもってまわった言い方をしている。実際には 「花が終わってもまた来てね」という挨拶である。

 "我が宿の 花見がてらに" という出だしは、意味としては、うちの庭の花を見るついでに、ということで問題ないのだが、「の」の感じがどことなく不安定であるのは、次の四つの歌と比べて、続く名詞での切れが悪いことが原因であろう。 1045番の読人知らずの歌の「野がひがてらに」と同じく、
 "花見がてらに" という部分が強く、一つのかたまりとして感じられるためである。

 
135   
   我が宿の   池の藤波  咲きにけり  山郭公  いつか来鳴かむ
     
318   
   今よりは  つぎて降らなむ  我が宿の   薄おしなみ  降れる白雪
     
442   
   我が宿の   花ふみしだく  とりうたむ  野はなければや  ここにしもくる
     
800   
   今はとて  君がかれなば  我が宿の   花をばひとり  見てやしのばむ
     
        同じ躬恒の春歌で 「花を見る」ことを詠っているものとしては次の歌がある。

 
104   
   花見れば   心さへにぞ  うつりける  色にはいでじ  人もこそ知れ
     
        "恋しかるべき" の 「恋しかる」は 「恋しくある」ということの短縮形。同じような 「〜かるべし」という表現を使った歌の一覧については 270番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/14 )   
(改 2004/02/13 )   
 
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