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       これさだのみこの家の歌合せのうた 紀友則  
270   
   露ながら  折りてかざさむ  菊の花  老いせぬ秋の  久しかるべく
          
     
  • かざさむ ・・・ 頭に挿して飾ろう (挿頭す)
  
露があるままでも、折ってこの菊の花を頭に挿して飾ろう、老いることない秋がずっと続くように、という歌で、菊の露により長寿を得るという中国の故事を元にしている。

  菊の露を身につけるということでは、273番に素性の「濡れてほす 山路の菊の 露の間に」という歌があり、菊をかざすということでは、276番に貫之の「秋の菊 匂ふかぎりは かざしてむ」という歌がある。それらと並べて見た場合、この歌では長寿を "老いせぬ秋" と表現しているところに特徴がある。それが 「久しくある」というのは、秋という期間に限ったことではなく、菊が秋のものであるのでそう言ったまでで、ニュアンス的には 「老いせぬ時」と同じことであろう。少し飛躍するが、いつまでも若々しく秋を迎えられるように、という感じにも読めないこともない。また、あえて "老い" という言葉を出すことによって、菊の露の新鮮さを際立たせる効果にもなっている。

  "久しかるべく"は 「久しかる+べく」で 「久しかる」は 「久しく+ある」の短縮形で、それに助動詞「べし」の連用形が付いたもの。この 「〜かるべし」というかたちを持っている歌には次のようなものがある。ここでの 「久かるべし」は可能を表しているが、その他の歌では 「〜に違いないだろう」という確信のニュアンスを含めた推量を表すのに使われている。

 
     
67番    散りなむのちぞ  恋しかるべき  凡河内躬恒
270番    老いせぬ秋の  久しかるべく  紀友則
370番    立ち別れなば  恋しかるべし  紀利貞
426番    恋しかるべき  香は匂ひつつ  読人知らず
685番    見るものからや  恋しかるべき  清原深養父


 
        またこの歌は 36番の東三条左大臣(=源常)の歌が梅の花を 「折りてかざさむ 老いかくるやと」と言っているのに対して、いやもっと効果のあるもので、と詠っているような感じもある。二つの歌の作成時期は、源常は 854年に没しているので、「是貞親王家歌合」が 892年ごろのものであるとすると、源常の歌の方が先であろう。

 
( 2001/11/05 )   
(改 2004/02/13 )   
 
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