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       題しらず 紀有朋  
66   
   桜色に  衣は深く  染めて着む  花の散りなむ  のちの形見に
          
        桜色に衣は深く染めて着よう、花が散った後の形見に、という文字通りの歌である。紀有朋(ありとも)は紀友則の父で、879年従五位下、880年没。

  この歌は春歌上の終わりにあって、桜を惜しむ気持ちを表わしている。まだ 「有る」状態を見て、それが 「無い」状態のことを思い浮かべるというかたちである。桜の色は薄い色だが、それを "深く 染めて着む" ということは、うつろわないようにという意味であろう。 7番の「心ざし  深く染めてし  折りければ」という歌も連想される。また、恋歌五の読人知らずの歌に次のようなものがある。

 
795   
   世の中の  人の心は  花染めの   うつろひやすき  色にぞありける
     
        細かいことを言えば、「この時代に桜色という染色名があったのか」とか、「そうした色は男もつけるものなのか」とか、「紅花で薄く色づけしたものなのか、桜の幹から採ったのか」など、いろいろ考えはあるのだろうが、ここではそうしたことはあまり考えずに、単に満開の桜に包まれていたいという気持ちが "衣" という言葉を導いたと見ておきたい。

  また、次の読人知らずの歌が 「梅」の 「香」を 「袖にうつす」と詠っているのに対して、この有朋 の歌は、「桜」は 「色」を 「染めて着る」と言っているようで面白い。

 
46   
   梅が香を  袖にうつして  とどめては  春はすぐとも  形見ならまし  
     
        「形見」という言葉を使った歌の一覧は 743番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/10 )   
(改 2004/02/25 )   
 
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