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- かつ見れば ・・・ すばらしいと見る一方で
- うとくもあるかな ・・・ 疎遠な感じもすることだ (疎し:=親しの逆)
こうして見て「おもしろし」と思う一方で、親しみが持てない感じもする、この月の光がささない里もないと思うと、という歌。 "かつ見れば" という部分は、「かつ見れど」としてある伝本もあり、「ど」の方がよりその感が強いように思われる。「かつ」については本居宣長の「古今和歌集遠鏡」で横井千秋が「はじめニ句。見れどかつうとくもある哉の意にて。かつは見るとうときと一つにまじれるにおきたる詞なり。」と注をつけているように、「見れば(ど)−かつ−うとくもある」と見るとわかりやすい気がする。
この歌の "月影" が躬恒を指しているのかどうかについては、説が分かれていて微妙である。基本的には、この月が自分(たち)だけのためにこうして美しく輝いているならいいのに、という気分を詠ったものだろうが、躬恒が女の所に行くついでに、ちょっと貫之の所に顔を出したという状況も考えられなくもなく、それをからかっているようにも見える。
この歌と似た言葉遣いの歌としては、147番の「郭公 なが鳴く里の あまたあれば」という読人知らずの歌の他に、次のようなものがある。
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