春を惜しみてよめる | 在原元方 | |||
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春はいくら惜しんでも留まってはくれないものだ、帰る道に発ってしまったようだから、という歌。 "春霞" は 「立つ」から 「発つ」を導くためのもので、その間に "かえる道にし" と入っているのがよいクッションになっているが、詞書がないと春霞を惜しんでいる歌のようにも離別歌のようにも見える。 「春霞」を詠った歌の一覧は 210番の歌のページを参照。 また詞書には書かれていないが、この歌は 「左兵衛定文歌合」(905年)の時のもので、132番の「とどむべき ものとはなしに」という躬恒の歌と 「首春/仲春/暮春」の内の 「暮春」という題で合わされ、負けている。勝ち負けよりも 「暮春」という題で、どちらも 「留まる/留む」という言葉を使っている点に興味を引かれる。 "とどまらなくに" の 「なくに」は 「春霞 かへる道にし たちぬと思へば」が意味的には先頭に回る倒置として、文末/区切りでの否定の詠嘆(=とどまるものではないなあ)と見ておく。 「〜なくに」という言葉を使った歌の一覧は 19番の歌のページを参照。 |
( 2001/10/24 ) (改 2004/02/26 ) |
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