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詞書がこの歌が七月八日の時点の歌であることを示している。今日からは、次にくる年の昨日、つまり七日を早くこないかと待ちつづけるのだろう、という歌。
「べき」は 「べし」の連体形で "昨日をぞ" の 「ぞ」の係り結びを受けたものだが、これは織姫の立場に立って言ったものとも、織姫のことを思って言ったものともどちらとも考えられる。一般的には織姫の立場に立ったものとされる。ここでも 「昨日をぞ」「いつしかとのみ」という強調や 「今こむ年」という身の近さ、また古今和歌集の七夕に対するネガティヴな見方という点から、「あと一年また待たなければいけないのか」という、牽牛の帰った後の織女の空しさを詠ったものと見ておく。
"いつしか" という言葉は、1014番の藤原兼輔の「いつしかと またく心を 脛にあげて」という天の川の歌でも使われている。こちらは滑稽さが目立つが、牽牛の側の歌として、この忠岑の歌と 「いつしか−渡る」で結ばれているように見えて面白い。
また、この歌の "今日よりは" と似た出だしの 「今よりは」と始まっている歌としては、242番の平貞文の「今よりは 植ゑてだに見じ 花薄」という歌と、318番の読人知らずの「今よりは つぎて降らなむ 我が宿の」という歌がある。
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