かむなりのつぼに人々あつまりて、秋の夜惜しむうたよみけるついでによめる | 凡河内躬恒 | |||
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詞書にある「かむなりのつぼ」(雷鳴の壺)とは 「襲芳舎」(しゅうほうしゃ)のことで、内裏の北西に南から 「藤壺(=飛香舎)」「梅壺(=凝花舎)」と並んでいる後宮殿舎のうちの一番北にある。 歌の意味は、このように惜しいと思う秋の夜が明けてしまうのは残念なことで、それを無駄に寝て明け方を迎える人まで嫌な感じに思える、ということ。持ってまわった言い方で、少し意味がわかりづらい。 ベースの発想は、すばらしい(月)夜だ → でもほとんどの人はこの夜を堪能していない → なんともったいないことか、ということで、50番の「山高み 人もすさめぬ 桜花」という歌と同じであると思われる。そこに 「いたづらに 寝て明かすらむ人」という毒気を少しまぶしている。この歌は秋歌上に置かれているが、その場で居眠りをしている人をからかった誹諧歌のようにも見えなくもない。 無駄に夜明けを迎えるという点では、177番の友則の「渡りはてねば 明けぞしにける」という歌が連想され、 "人さへぞうき" という 「憂さ」では、395番の幽仙法師の「かへすは花の うきにやはあらぬ」という歌が思い出される。 「さへぞ」という言葉を使った歌の一覧は 146番の歌のページを参照。 |
( 2001/10/10 ) (改 2004/02/23 ) |
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