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詞書にある「藤原の三善」は不明。在原滋春は業平の次男。またこの歌の左注には「このうたは、ある人、在原のときはるがともいふ」とあるが、「ときはる」自体が不明。
"あかぬ心に まかせはててむ" という部分の 「心」が誰の心なのかがわかりづらい。考えられるのは 「作者の心」「神の心」「相手の心」の三つだろうか。
まず 「作者の心」と考えれば、鶴亀も千年の後は知らないけれど、あなたの命を千年では足りないと思うこの私の心のままにお祝いを申し上げます、といったところだろうが、この場合、「はててむ」という部分のニュアンスが今ひとつである。
「神の心」とするならば、鶴亀も千年の後は知らないけれど、あなたの命を千年では足りないと思う神様の心のままに後はおまかせいたします、という感じだろうが、この場合は 「あかぬ心」という部分に無理がありそうである。
最後に 「相手の心」だとすると、鶴亀も千年の後は知らないけれど、それでも満足できないあなたの心のままに後はおまかせいたします、ということになるだろうが、これではまるで 「いつまで生きるんだ」と言っているようで、どうも投げやりである。
賀歌では、次の素性法師が代作した歌のように祝う側も長寿を望むというパターンもあって様々であるので、この滋春の歌が何を言いたいのかは結局のところよくわからない。
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