内侍のかみの、右大将藤原の朝臣の四十の賀しける時に、四季のゑかけるうしろの屏風にかきたりけるうた | 凡河内躬恒 | |||
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藤原定国の四十の賀の屏風絵に付けられた歌の一つで、古今和歌集には作者名が明記されていないが、「躬恒集」にあるので躬恒の作とされるのが一般的である。賀歌に分類されているが、屏風絵の賛として詠まれているので春歌と変わらない。「山高み+桜花」の歌としては、読人知らずと貫之の歌が春歌上、春歌下にある。 |
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いずれの歌も 「山高み」に起因する出来事を二句目で言い、それを三句目の 「桜花」で閉じた上で後半につなげるというかたちをとっている。この躬恒の歌も 「山が高いので−雲の合間に見えている−桜花」と言い、そんな場所にあるので体はそこまで行けないが、花を求める心は遠く飛んで、その枝を折りたいと思わない日はない、という内容になっている。 「名詞+形容詞の語幹+み」というかたちの言葉を使った歌の一覧は 50番の歌のページを参照。 賀歌として解釈すれば、 "雲ゐに見ゆる 桜花" は、幽玄境にある長寿への鍵で、それをあなたのために折ってきて差し上げたいという感じか。そう考えると 54番の「手折りてもこむ 見ぬ人のため」という読人知らずの歌にも通じるものがあるように感じられる。 また、次の素性法師の歌は賀歌の歌群から見ると 「千代」という言葉が目につき、賀歌の中にあっても違和感がない。詞書にわざわざ 「春のうたとてよめる」とあるのはそのためかもしれない。 |
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( 2001/11/01 ) (改 2004/03/10 ) |
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