内侍のかみの、右大将藤原の朝臣の四十の賀しける時に、四季のゑかけるうしろの屏風にかきたりけるうた | 紀友則 | |||
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この歌は恐らく絵の中の人物に成り代わって詠んだもので、めずらしい声でもないけれど、ホトトギスの声は、何年聞いても飽きることがないことだ、という意味であろう。 「〜なくに」という言葉を使った歌の一覧は 19番の歌のページを、 「あかず」という言葉を使った歌の一覧は 157番の歌のページを参照。これを絵の中のホトトギスだから、ずっと鳴いているというようにとれば、次の貫之の歌にも通じるところがある。 |
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また、次の平篤行(あつゆき)の 「やまし」の物名の歌で詠われているように 「声はするけれども姿が見えない」というのがホトトギスの一つのパターンだとすると、絵の中でも隠れて鳴いているホトトギスの姿が思い浮かぶ。 |
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賀歌としては "ここらの年" で、長寿を指していると考えられなくもない。 「ここらの」という言葉を使った他の歌としては、誹諧歌に置かれている次の在原元方の歌がある。 「ここら」という言葉を使った歌の一覧は、その 1062番の歌のページを参照。 |
1062 |
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( 2001/11/06 ) (改 2004/02/20 ) |
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