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詞書は、二条の后(=藤原高子)が 「春宮の御息所」(=皇太子の母)と呼ばれていた頃、「めど」に 「けづり花」を挿したものを詠ませた、ということで、この 「めど」が 「あらざらメドも」として詠みこまれている。
「めど」はメドハギのことでマメ科ハギ属の多年草。その茎は筮(めどき)として占いに用いられた。花は白く真中が紫色であるが、ここでは造花の茎の部分として使用されているだけであろう。 「けづり花」とは木を薄く削って作った造花のことで仏名会(ぶつみやうゑ:陰暦十二月十九日から三日間、清涼殿で行なわれる穢れを祓う儀式)などの行事に使用された。
この 「めどにけづり花」は古くは 「古今伝授」の 「三木」、あるいは 「めどの木」「けづり花」と分けて 「三木一草」とされた。要はわかりづらい言葉の知識の伝授の項目ということである。 「三木一草」は次の通り。をかたまの 消ゆと見つらむ」の歌
めどの木 ・・・ この歌
けづり花 ・・・ この歌の詞書
かはな草 ・・・ 49番の清原深養父の「うばたまの 夢になにかは なぐさまむ」の歌
「和歌秘伝鈔」 (1941 飯田季治 畝傍書房) では、「古今伝授」の本文として 「めど・けづり花」について次のような説を紹介している。
- めどは 「めど木」のことである。
- 「めど木」は草だけれども千年経つと茎が百千にもなり、それが幹をなす霊木である。
- そのため易に用いられ、日本では筑波山で採れるが、毎年採れるものではない。
- 身分の高い家の門には 「めど木」を挿して祝う習慣がある。
- ただ毎年採れないので初子の日に引いた小松を削って 「めど木」の代わりにした。
- そしてそれを御所の東の方に掛けた。
- けづり花とは後世では造花のことだが、ここではその削った小松のことを指す。
- めどを 「妻戸」とし 「妻戸に削り花を挿した」という説もある。
- しかしそれは思い違いであり 「めど木の代わりに削り花を挿した」というのが正解である。
そしてこの本文の評釈として飯田氏は、こんなことを言っているが、歌の内容からして、めどに造花を飾りつけたということは明白である、と述べている。
歌の内容は、康秀が自分をその 「けづり花」に譬え、花のある木ではありませんが、こうして咲かせていただきました、年をとったこの身が 「木の実」がなるように、お役に立てる時がくればいいのにと思います、という意味である。 「めど」の物名に加えて 「この身−木の実」の掛詞が入っているが、この駄洒落は少々鼻につく感じがしないでもない。 "ふりにしこの身" の 「ふり」は 「古る」の連用形。 「古る」を使った歌の一覧については 248番の歌のページを参照。
古今和歌集の中には康秀が 「東宮の御息所」と呼ばれていた時期の二条の后の前で詠った歌がもう一つ収められている。
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