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       仁和のみかど、みこにおはしましける時、布留の滝御覧ぜむとておはしましける道に、遍照が母の家にやどりたまへりける時に、庭を秋の野につくりて、おほむものがたりのついでによみてたてまつりける 僧正遍照  
248   
   里は荒れて  人はふりにし  宿なれや  庭もまがきも  秋の野らなる
          
     
  • まがき ・・・ 垣根
  詞書の意味は「光孝天皇が親王であった時、布留の滝をご覧になりに行く途中、遍照の母の家に泊まり、秋の野に見立てて造った庭で天皇をまじえていろいろと皆で話をした時に詠んだ」歌ということ。

  歌の意味は言葉通りで、
里は荒れて、住む人も年老いた宿だからでしょうか、庭も垣根も秋の野原のようになっています、ということ。 "里は荒れて 人はふりにし" という部分に「布留(ふる)の里−ふるさと」ということを含めており、 "宿なれや" という部分には、親王側の気持ちに立ってもてなしている遍照の心遣いが見えるような気がする。他に「宿なれや」という言葉を使った歌としては、雑歌下の 984番に読人知らずの「荒れにけり あはれ幾世の 宿なれや」という歌がある。

  「荒れたるもの」を詠った歌の一覧は 237番の歌のページを、「〜なれや」という言葉を使った歌の一覧は 225番の歌のページを参照。

  "ふりにし" の 「ふり」は上二段活用の 「古る」の連用形。 「古る」は、古くなるという意味である。下二段活用の 「経(ふ)」の連用形も 「ふる」であるので、113番の小野小町の歌のように、どちらとも微妙な場合もある。また、
「例解 古語辞典 第三版」 (1993 三省堂 ISBN4-385-13327-1) では、「経」の項で 「連体形「ふる」は、特に和歌では 「古る」にかけて用られることが多い。」と述べられている。

  「古る」そして似たような動詞で四段活用の「古す」(=古いものとして見捨てる)を使った歌をまとめておくと次の通り。 「経」を使った歌の一覧については 596番の歌のページを参照。

 
        「古る」の連用形:  「ふり」

     
248番    里は荒れて  人はふりにし 宿なれや  僧正遍照
445番    ふりにしこの身  なる時もがな  文屋康秀
782番    今はとて  我が身時雨に ふりぬれば  小野小町
870番    ふりにし里に  花も咲きけり  布留今道
890番    世の中に  ふりぬるものは 津の国の  読人知らず
1022番    いそのかみ  ふりにし恋の かみさびて  読人知らず


 
        「古る」の已然形:  「ふるれ」

     
736番    我が身ふるれ  置きどころなし  藤原因香


 
        「古す」

     
824番    我をふるせ  名にこそありけれ  読人知らず
986番    人ふるす  里をいとひて こしかども  二条
1046番    うぐひすの  去年の宿りの ふるすとや  読人知らず


 
        このうち、1046番の歌では、「古巣」が表の意味であり、そこに「古す」が掛けられている。また、「古し」という形容詞を使った歌に、144番の「いそのかみ ふるきみやこの 郭公」という素性法師の歌がある。 「古し」の連体形は 「古き」だが、「古里・古枝・ふる年」のように、「き」が落ちて一つの言葉として使われることも多い。

 
( 2001/11/27 )   
(改 2004/02/25 )   
 
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