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       はをはじめ、るをはてにて、ながめをかけて時のうたよめ、と人のいひければよみける 僧正聖宝  
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   花の中  目にあくやとて  わけゆけば  心ぞともに  散りぬべらなる
          
        僧正聖宝(しょうほう)は生年 840年(あるいは834年)、909年没。 898年東大寺大別当、902年僧正。古今和歌集にはこの一首のみが採られている。

  詞書は 「は」からはじめて 「る」で終る歌で、さらにそこに 「眺め」かけて春の歌を詠め、ということで出題する方が歌を考えるよりもややこしそうだが、これなどまだよい方で、「やたがらすを句のかしらに置き、島の鴨(かも)を句の末に置いて旅の歌を詠め」などという題もあったようであり( 421番の素性の歌のページを参照)、古今和歌集が作られた当時から、すでにこうした言葉遊びはかなり複雑化していたことがわかる。

  「ながめをかけて」とあるが、この歌で「眺め」は掛詞ではなく、「はなの
ナカ にあくやとて」と物名の形式になっている。

  歌の内容は、
花の中に見飽きるかと思って入ってゆけば、逆に心が花に引き寄せられて、共に散ってしまいそうな心地がする、ということで、「やよひのつごもりの日、花つみよりかへりける女どもを見てよめる」という詞書のある次の躬恒の歌と似ている。

 
132   
   とどむべき  ものとはなしに  はかなくも  散る花ごとに    たぐふ心か  
     
        聖宝の歌の方が言葉遣いがやさしく親しみ易いが、くねるような言葉の力がある躬恒の歌も「散る花ごとに ぬきてとどめむ」という 114番の素性法師の歌のサポートがあり捨て難い。。

  「べらなる」という言葉を使った歌の一覧については 23番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/29 )   
(改 2004/01/06 )   
 
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