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       題しらず 在原行平  
23   
   春の着る  霞の衣  ぬきを薄み  山風にこそ  乱るべらなれ
          
     
  • ぬき ・・・ 横糸
  
春の着る霞の衣は横糸が弱く薄いので、まさに山風によって乱れているようだ、という歌。 「春の霞の衣」が 「山風に乱れる」とは常套句とも言える発想だが、その中間の "ぬきを薄み" のはさみ方が、軽やかで絶妙である。漢詩的な妖艶さを取り込んで、さらりとした和歌に仕立て上げたという感じを受ける歌である。 「春霞」を詠った歌の一覧は 210番の歌のページを、「山風」を詠った歌の一覧は 394番の歌のページを参照。

  "ぬきを薄み" は 「ぬき+を+薄+み」で 「薄」は形容詞「薄し」の語幹、「み」は理由を表す接尾語。同じような 「〜を+形容詞の語幹+み」というかたちを持っている歌の例は 497番の歌のページを参照。 「べらなり」は推測を表わす助動詞で、この歌と同じく 「こそ」が入って 「べらなれ」と已然形で使用されているものに次の素性法師の歌がある。

 
947   
   いづこにか  世をばいとはむ  心こそ   野にも山にも  惑ふべらなれ  
     
        古今和歌集の中で 「べらなり」という言葉が使われている歌は23首あり、その一覧は次の通り。

 
        [べらなれ]  
     
23番    山風にこそ  乱るべらなれ  在原行平
947番    野にも山にも  惑ふべらなれ  素性法師


 
        [べらなる]  
     
412番    数はたらでぞ  かへるべらなる  読人知らず
468番    心ぞともに  散りぬべらなる  僧正聖宝
751番    人はよそにぞ  思ふべらなる  在原元方
916番    海人とぞ我は  なりぬべらなる  紀貫之
968番    光をのみぞ  たのむべらなる  伊勢


 
        [べらなり]  
     
87番    風は心に  まかすべらなり  紀貫之
128番    はてはものうく  なりぬべらなり  紀貫之
195番    くらぶの山も  越えぬべらなり  在原元方
348番    千歳の坂も  越えぬべらなり  僧正遍照
364番    曇る時なく  照らすべらなり  藤原因香
384番    君が別れを  惜しむべらなり  紀貫之
428番    ものはながめて  思ふべらなり  紀貫之
600番    我も思ひに  もえぬべらなり  凡河内躬恒
671番    ねにあらはれて  泣きぬべらなり  読人知らず
716番    忘れぬものの  かれぬべらなり  読人知らず
752番    なるるを人は  いとふべらなり  読人知らず
877番    山のあなたも  惜しむべらなり  読人知らず
959番    端に我が身は  なりぬべらなり  読人知らず
989番    ゆくへも知らず  なりぬべらなり  読人知らず
1001番    いたづらに  なりぬべらなり  読人知らず
1057番    山のかひなく  なりぬべらなり  読人知らず


 
        また、"ぬき" とは緯度・経度の 「緯」にあたるもので、314番の読人知らずの歌に「時雨の雨を たてぬきにして」とある他、秋歌として次の藤原関雄の歌でも使われている。

 
291   
   霜のたて  露の ぬき こそ  弱からし  山の錦の  おればかつ散る
     
          ちなみに藤原関雄は三十九歳で没したが、その生年は 815年であるので 818年生れの行平とは三歳違いである。

 
( 2001/11/28 )   
(改 2004/03/11 )   
 
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