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流れてゆく水の上に指で数を書くよりもはかないことは、思ってくれない人を思うことだ、という歌。 "行く水に " という言葉からは、無駄に時が過ぎて行く、という感じもうかがえる。 「水に数書く」ということでは万葉集・巻十一2433に次のような歌がある。
水の上に 数書くごとき 我が命 妹に逢はむと うけひつるかも (うけふ=「誓ふ」:神に祈る/神意をうかがう)
この万葉集の歌でも 「水に数書く=はかない」と置き換えることができるが、その源は「涅槃経」の、次のような言葉にあると、契沖「古今余材抄」などに書かれている( 「古今和歌集全評釈 補訂版 」 (1987 竹岡正夫 右文書院 ISBN 4-8421-9605-X) によれば元は「顕註密勘」)。
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是身無常念々不住 猶如電光暴水幻炎 亦如画水随画随合
(この身は無常にして念々住(とど)まらず、なお電光暴水幻炎の如し、また水に画くが如く随(したが)いて画けば随いて合う) |
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最後の 「随画随合」の 「合う」というニュアンスがわかりづらいが、水が合って閉じ、その跡を消すということか。ここでの 「画(=畫)」は 「絵を描く」ことだとされていて、上記の万葉集の歌やこの歌の 「数書く」とは少し違うようだが、これらの歌では譬えとして使っているので、意味的には何を書こうがあまり変らないような気もする。その点、同じ 「数かく」でも次の恋歌五の場合は 「数」に意味があるようである。
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