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- とはに ・・・ 常に
- 何しかも ・・・ どうしてか
- かくなわ ・・・ 紐を結んだような形をした、油で揚げた菓子
- えぶ ・・・ 仏教用語で「人間世界」のこと (閻浮 :=閻浮提(えんぶだい))
- せむすべなみ ・・・ どうしようもないので
- やすらへば ・・・ 行ったり来たりうろうろすれば
- よそにも ・・・ たとえ遠くても
古今和歌集ではこの歌の前に 「短歌」という題がある。三十一文字の和歌に比べて長いのに何故 「長歌」としていないのかは、諸説あり不明である。 「短歌という名の長歌」とルーズに見ておくことにする。長い歌でお経のような感じだが、歌の内容は、一言で言えば 「逢えない恋」を詠ったもので、修飾を除いてみると次のようなことを言っている。
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ほとんど逢えないにもかかわらず、恋をした自分は
ただ鬱々として思うけれども、だからといって逢えるはずもなく
深い思いは無駄になり、もう消えてしまおうと思うけれど
生身のこの体はそうもゆかず、かといって相談できる相手もなく
ただ独りで嘆きが増せば、やはりもう消えてしまおうと思うけれど
それでも遠いあの人に、逢いたい気持ちがあるために、ただこうして嘆くばかりなのさ |
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"けなばけぬべく 思へども" というフレーズが二回、「思へども」に限れば三回出てくるのが特徴である。 「思へども」という言葉を使った歌の一覧については 373番の歌のページを参照。
一方、譬えの部分をまとめると次のようになり、その中で "かくなわ" というお菓子の名が出てきている点と、 "えぶ" という聞きなれない言葉が入っている点が目を引く。
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あふことは |
まれなる色に |
思ひそめ |
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我が身は |
天雲の |
晴るる時なく |
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富士の嶺の |
もえつつとはに |
思へども |
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わたつみの |
沖を深めて |
思ひてし |
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ゆく水の |
絶ゆる時なく |
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かくなわに |
思ひ乱れて |
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降る雪の |
けなばけぬべく |
思へども |
あしひきの |
山下水の |
木隠れて |
たぎつ心 |
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墨染めの |
夕べになれば |
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白妙の |
衣の袖に |
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置く露の |
けなばけぬべく |
思へども |
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春霞 |
よそにも人に |
あはむと思へば |
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これを見ると 「富士の嶺/わたつみ」、「墨染め/白妙」あたりに対比がある感じである。また 「富士の嶺」のくだりでは 680番の藤原忠行の「富士の嶺の めづらしげなく もゆる我が恋」という歌が連想され、「山下水の 木隠れて」という部分は 491番の読人知らずの「あしひきの 山下水の 木隠れて」という歌とほとんど同じである。
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( 2001/12/11 ) (改 2004/02/17 ) |
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