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       題しらず 読人知らず  
529   
   かがり火に  あらぬ我が身の  なぞもかく  涙の川に  浮きてもゆらむ
          
     
  • かがり火 ・・・ 夜の警備や魚を採る時のために焚く火
  
この身は 「かがり火」でもないのに何故、涙の川に浮いて燃えるのだろうか、という歌。続く次の歌が水に映る火を詠んでいるので、この歌は舟の上の火と見てよいだろう。つらい環境(=涙の川)の中で、確かなものも無いまま(=浮きて)、思いだけが高まる(=燃ゆ)ということ。

 
530   
   かがり火 の  影となる身の  わびしきは  ながれて下に  もゆるなりけり
     
        「涙川に浮く」ということを言っている他の歌としては、527番に「涙川 枕流るる うきねには」というものがある。そこでの 「浮き寝」には 「憂き」が掛けられているのと同じく、この歌でも 「かがり火」の 「火」に 「思」が掛けられているようだが、あまりその意味を強く見ると "我が身" の 「身」と衝突して歌が汚くなる。 「思ひ」は 「燃ゆ」という言葉の中にあると見ておいた方がすっきりする。

  「なぞ」という言葉を使った歌の一覧 232番の歌のページを、「涙川」を詠った歌の一覧は 466番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/11 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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