おきび | 都良香 | |||
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「オキヒむときや」という部分に 「おきび(熾火)」が含まれている。 「おきび(熾火)」とは赤く燃える炭火のこと。 "おきひむ時" は 「沖干む時」である。 歌の意味は、流れ出る方向さえもわからない涙川は、その沖が干上がる時にこそ底が見えるだろう、ということで、涙が大量にあふれる理由を 「底」に譬えて、それは決して誰にもわからないだろう、ということを言っている。物名の部分は微妙だが、全体としては 「見えぬ」「知られむ」とバランスよく作られている。 "涙川" は、ここでは涙が流れる様子のことで実際の川ではないが、物名の歌を古今和歌集の配列の順で読んでくると、460番や 461番に貫之の川の名前の題の物名があるので、歌の地の言葉に "涙川" とあるのが新鮮に見える。また、 "流れいづる 方だに見えぬ" という表現は、462番の忠岑の 「行く方のなき」という部分を思い出させる。 「方」という言葉を使った歌の一覧は 201番の歌のページを参照。 「だに」という言葉を使った歌の一覧については 48番の歌のページを参照。 ちなみに古今和歌集の中で 「涙川・涙の川」という言葉を使った歌には次のようなものがある。 |
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そして 「沖」と 「出(いづ)る」から、「底」を涙川ではなく酒瓶の底へと転換すると、次の雑歌上の藤原敏行の歌へとつながる。 |
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作者の都良香(みやこのよしか)は、834年生れ、879年没で没時四十六歳。 860年文章生となり、873年従五位下。古今和歌集にはこの歌しか残されていないが、漢詩文を得意とし、例えば 「和漢朗詠集」の秋の部には、蘭の詩として次のものが採られている。 凝つては鳳女(ほうぢよ)の顔(おもて)に粉(ふん)を施せるがごとし 滴つては鮫人(かうじん)の眼(まなこ)の珠(たま)に泣くに似たり これは紅蘭に露が溜まっている姿と、そこから露がこぼれ落ちる様を表わしたもので、「鳳女」・「鮫人」という組み合わせが奇抜で面白い。 都良香(よしか)という名前は、他に藤原因香(よるか)という名の人物もいてまぎらわしいが、因香(よるか)は女性、良香(よしか)は男性である。 |
( 2001/08/22 ) (改 2004/03/09 ) |
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