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       題しらず 読人知らず  
530   
   かがり火の  影となる身の  わびしきは  ながれて下に  もゆるなりけり
          
     
  • かがり火 ・・・ 夜の警備や魚を採る時のために焚く火
  
かがり火の水に映る影のようになったこの身はわびしく、その火が流れに映って燃えるように、泣きながらも心の中で思いが燃えています、という歌。 「流れて−泣かれて」が掛詞となっている。

  一つ前の 529番の歌と 「かがり火」つながりでペアとして置かれていて、そこからの延長で考えれば下に流れる川は涙川と考えられなくもない。 528番の歌とも 「影となる身」という点では共通しているが、この歌では、舟の下に映る影のことを指していて、「人の影となって添う」というニュアンスはないようである。

  また "わびしきは" という言葉から、「人には知られず」という感じを受け取ると、漁の場合、「かがり火」は魚を集める目的もあり、人の目を引くだろうから歌の意図に合わないような気もする。舟遊びなどの饗宴で上では人々が楽しく遊んでいて、水面など誰も見ないという状況と見てみたい。 
「わびし」という言葉を使った歌の一覧は 8番の歌のページを参照。

  "かがり火" と音が似ている 「蚊遣火」を使って 「下に燃える恋」を詠ったものに、次の読人知らずの歌がある。これはこの 「かがり火」の歌よりだいぶ前に置かれていて、確かにニュアンスも異なるようだが、その違いは微妙である。

 
500   
   夏なれば  宿にふすぶる  かやり火の   いつまで我が身  下もえをせむ  
     
        「下に流れる」という歌の一覧は 607番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/27 )   
(改 2004/03/10 )   
 
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