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       題しらず 小野小町  
554   
   いとせめて  恋しき時は  むばたまの  夜の衣を  返してぞきる
          
     
  • せめて ・・・ 切実に
  • むばたまの ・・・ 夜の枕詞で、「ぬばたまの」あるいは「うばたまの」と同じ
  
とても切実に、もう耐え切れないほど恋しい時には、「夜の衣」を裏返して着て寝ます、という歌。寝る時にかける"夜の衣" を裏返しに着ると思う人に夢で逢えるという俗信があったといわれる。それからすれば歌の中には 「夢」という言葉は出てこないが、「夢で逢いたい」という気持ちと見ることができる。ただ、本当にそうした俗説があったのかどうかは不明。確かなのは万葉集に次のような 「袖を返して寝て夢を見る」という歌があることである。

  万葉集 巻十一 2812  我妹子に  恋ひてすべなみ  白妙の  
袖返しゝは  夢に見えきや
  万葉集 巻十一 2813  我が背子が  
袖返す夜の  夢ならし  まことも君に  逢ひたるごとし
  万葉集 巻十二 2937  白妙の  
袖折り返し  恋ふればか  妹が姿の  夢にし見ゆる
  万葉集 巻十七 3978  ...敷栲の  
袖返しつつ  寝る夜おちず  夢には見れど...

  また万葉集・巻十三3274には次のような歌もある。

  ...白妙の 
我が衣手を 折り返し ひとりし寝れば ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寝る...

  この小町の歌では "返してぞきる" となっているので、袖だけではなく衣全体を裏返していると考えられる。俗信・おまじないの類はどんなものがあっても不思議ではないが、「袖を折り返すぐらいなら、いっそ全部を裏返しに着た方が効果があるのではないか、独り寝の夜は誰が見ているわけでもないのだから」という発想と見ても面白いような気がする。

  またこの歌は、効果がありそうなものは何でもやってみようという感じで、516番の読人知らずの「いかに寝し夜か 夢に見えけむ」という 「枕を置く向き」の歌と合わせて見ても面白い。

  "いとせめて" の 「せめて」はざっと見れば、現代の言葉でいう 「せめて〜したい」という意味のように見えるが、通説では 「迫む」(=迫る)からきていて 「切実に」という意味だとされている。恐らくそれは 「せめて」を「最小の願いとして」という意味にとると、「いと」(=とても)という副詞とのつながりが悪いことが理由だと思われる。 「いと」という言葉は「いとはやも  鳴きぬる雁か」という 209番の歌などでも使われている。ただこの小町の歌の場合には、歌全体から「せめて夢の中だけでも逢いたい」という雰囲気が立ち上っているために、「せめて」という言葉を 「切実に」ということと 「最小の願いとして」という二つの意味に使っていると見てもよいのではないかとも思われる。ちなみにこの 「いと」が 「糸」として 「衣」の縁語として使われているのかどうかは微妙なところである。

  一方 「せめて」が 「迫む」であるとすると、次の読人知らずの誹諧歌はこの歌と意味も雰囲気も異なるが、その 「せめくれば」(=迫りくれば)という言葉の意味自体は近いと考えられる。ただし、その近くに 「せむ方なみぞ」と 「せむ」がもう一つあるが、そちらは 「為む」であり、同音ではあるが 「迫む」とは意味が異なる。

 
1023   
   枕より  あとより恋の  せめくれば   せむ方なみぞ  床なかにをる
     

( 2001/12/05 )   
(改 2003/12/24 )   
 
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