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       業平の朝臣の家に侍りける女のもとによみてつかはしける 藤原敏行  
617   
   つれづれの  ながめにまさる  涙川  袖のみ濡れて  あふよしもなし
          
     
  • つれづれの ・・・ 鬱々とした
  • よし ・・・ 手だて
  
どうにもやるせないこの長雨の眺めにまさる涙川のため、ただ袖だけが濡れて、逢う手だても見つかりません、という歌。詞書には 「雨」ということは言われていないが、「眺め−長雨」の掛詞で 
「涙」と水の縁語でつないでいる。 "まさる" は 「勝る」か 「増さる」か微妙だが、「長雨に勝る川」「眺め(=物思い)に勝る涙」というのでは意味が通りづらいので、ここでは「長雨によって増さる川」「眺め(=物思い)によって増さる涙」と見ておくのが自然かと思われる。水が増さるという歌としては 587番に貫之の「雨降れば 常よりことに まさる我が恋」という歌がある。

  つまり、鬱々とした物思いにより涙があふれるけれども、ただ手をこまねいているばかりで逢う手段が見つからない、ということを、長雨で涙川が増水して渡ろうとしても袖が濡れるばかりで渡れない、ということに合わせている歌である。

 
        恋歌の中で 「涙川」が出てくる歌は、この歌とその返しを除くと次の三つがあり、「涙の川」としては 529番と 531番の二つの読人知らずの歌がある。 「涙川」を詠った歌の一覧は 466番の歌のページを参照。

 
511   
   涙川   なに水上を  尋ねけむ  物思ふ時の 我が身なりけり
     
527   
   涙川   枕流るる  うきねには  夢もさだかに 見えずぞありける
     
573   
   世とともに  流れてぞ行く  涙川   冬もこほらぬ  みなわなりけり
     
        また、状況は違うが、哀傷歌のはじめにある次の小野篁の歌は、どことなくこの歌と似た 「川」のイメージを持っている。

 
829   
   泣く涙  雨と降らなむ  わたり川  水まさりなば  かへりくるがに
     
        この敏行の歌は続く 618番の歌と 705番の二つの業平の歌と共に「伊勢物語」の第一〇七段に見られ、そこに 「内記にありける藤原敏行といふ人」という記述がある。「古今和歌集目録」による 「少内記・大内記」の歴任者の一覧については 229番の歌のページを参照。

  「ながむ」という言葉を使った歌の一覧は 113番の歌のページを、「よし(由)」を使った歌の一覧については 347番の歌のページを参照。

 
( 2001/06/25 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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