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       題しらず 宗岳大頼  
591   
   冬川の  上はこほれる  我なれや  下に流れて  恋ひ渡るらむ
          
        冬の川のように表面は凍りついているのが今の自分なのか、だからこれからも心の内で涙を流して恋い続けてゆくのだろう、という歌。宗岳大頼(むねおかのおおより)は伝未詳。他にこの歌と同じく冬のものを詠った、次のような躬恒との贈答歌がある。

 
979   
   君をのみ  思ひこしぢの  白山は  いつかは雪の  消ゆる時ある
     
        "上はこほれる" というのは、女性側の歌と考えれば 「表面は冷たい態度しかとれない」ということ、男性側の歌と考えれば 「相手の態度が冷たく、恋の状況が凍結していて次のアクションがとれない」ということだろう。 "下に流れて" という表現は、494番の歌にも 「下ゆく水の 下にのみ 流れて恋ひむ」とあり、例のように 「流る−泣かる」が掛けられている。 「下に流れる」という歌の一覧は 607番の歌のページを参照。

  この歌や、586番の「はかなく人の 恋しかるらむ」という忠岑の歌のように、自分の心のことであるのに、推量の 「らむ」が使われているものは、そのニュアンスがわかりづらい。
「古今和歌集全評釈  補訂版 」 (1987 竹岡正夫 右文書院 ISBN 4-8421-9605-X) のように「どうして〜なのだろう」というかたちに寄せてしまうのも一つの方法だと思われるが、この歌の場合、「なれや」と疑問があるが、「上・下」の対比が明らかなので 「上が凍っているからか、下が〜なのだろう」という原因からの推量のかたちと見てよいのではないかと思われる。

  「〜なれや」という表現を使った歌の一覧は 225番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/09 )   
(改 2004/03/09 )   
 
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