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       題しらず 壬生忠岑  
586   
   秋風に  かきなす琴の  声にさへ  はかなく人の  恋しかるらむ
          
     
  • かきなす ・・・ かきならす
  
一人、秋風に感じて琴をかきならせば、その音にさえ、どうしてはかなく、あなたのことが恋しく思えるのだろう、という歌。 「秋の風に乗って聞こえてくる(誰かが)かきならす琴の音に」というようにもとれるが、本居宣長が「古今和歌集遠鏡」の中で 「自身ト引ナラス琴ノ声ノ」と訳しているように、自分が琴を弾くと見た方が自然であるような気がする。

  ここでの 「琴(こと)」は、現在の 「琴」ではなく、五弦あるいは七弦の 「琴(キン)」であろう。それを秋風に合わせて弾くということは文人の嗜みであり、その幽妙な音色は、本来心を静めるためのものだが、それを聞いてさえ、相手のことが思われると詠っている。忠岑がそれを弾きこなせたかどうかは不明だが、1003番の「古歌にくはへてたてまつれる長歌」で中国の故事を引いていることもあるので、一つのポーズであるとも見える。本音としては、次の素性法師の歌のように 「秋風」によって寂しさが増すということなのだろう。

 
555   
   秋風の   身に寒ければ  つれもなき  人をぞたのむ  暮るる夜ごとに
     
        また、この歌の「琴の声」の「声」は「楽器の音色」ということで、「秋風」と「声」を使っている歌としては、360番に「住の江の 松を秋風 吹くからに」という躬恒の歌がある。 「秋風」を詠った歌の一覧は 85番の歌のページを参照。

  「さへ」を使った歌の一覧は 122番の歌のページを、「はかなし」という言葉を使った歌の一覧については 132番の歌のページを参照。

 
( 2001/10/03 )   
(改 2004/03/11 )   
 
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