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       題しらず 凡河内躬恒  
662   
   冬の池に  すむにほ鳥の  つれもなく  そこにかよふと  人に知らすな
          
     
  • にほ鳥 ・・・ カイツブリ (鳰鳥)
  • つれもなく ・・・ 無関心に・冷たく
  
冬の池に住む「にほ鳥」のように、私が無関心を装って密かにそこに通っているということを人に告げるな、という歌。わかりづらい歌なので、わかることとわからないことを分けて考えてみる。

[わかること]
  • 「冬の池にすむにほ鳥」は 「つれもなく」に掛かる
  • "そこ" には 「底」と 「そこ(there)」が掛けられている
  • 「そこにかよふ」とは恋人の所に通うという意味が込められている
  • 「そこにかよふ」とは 「下にかよふ」と同じで密かに通うことである
  • 「そこにかよふ」のは(「にほ鳥」および)作者である
[わからないこと]
  • 「にほ鳥」と 「つれもなく」のつながりは何か
  • 「つれもなく」は 「つれもなく−かよふ」なのか 「つれもなく−知らすな」なのか
  • 「人に知らすな」とは誰に言っているのか
 
       「にほ鳥」と 「つれもなく」のつながりは何か
        「にほ鳥」は古今和歌集の他の歌には出てこない。今、万葉集の歌でそのイメージを見てみると、

[巻三]443         ...にほへる君が にほ鳥の 
なづさひ来むと 立ちて居て...
[巻四]725         にほ鳥の 
潜く池水 心あらば 君に我が恋 ふる心示さね
[巻五]794         ...にほ鳥の 
ふたり並び居 語らひし 心背きて 家離りいます
[巻十一]2492    思ひにし あまりにしかば にほ鳥の 
なづさひ来しを 人見けむかも
[巻十四]3386    にほ鳥の 
葛飾早稲を にへすとも その愛しきを 外に立てめやも
[巻十五]3627    ...にほ鳥の 
なづさひ行けば 家島は 雲居に見えぬ...
[巻十八]4106    ...にほ鳥の 
ふたり並び居 なごの海の 奥を深めて さどはせる...
[巻二十]4458    にほ鳥の 
息長川は 絶えぬとも 君に語らむ 言尽きめやも

ということで、なづさふ(=水に浮かぶ・親しむ)/かづく(=潜る)/ふたり並び居(ゐ)、という感じである。いずれもこの歌の "つれもなく" に直接つながるものはない。 「つれなし」(=無関心である様子)の 「つれ」に 「連れ」を掛けて 「ふたり並び居(ゐ)」のニュアンスを持ち込んでいるかもしれない、という程度の 「薄い掛かり方」としか見ることができない。

  つまり、「にほ鳥−つれなし」という部分には意味的には強い関係が感じられない。しかし歌の流れ的にはどう見ても 「冬の池にすむにほ鳥」は 「つれもなく」に掛かっているように見える。そこで考えられることは、冬の池に「住んでいる」「にほ鳥」は、その姿だけを見ると深く潜るもののようには見えない、その様子を 「つれなし」と言ったのではないか、ということである。これは本居宣長が「古今和歌集遠鏡」の中で「
つれもなくは。氷の下をかよふ。故に。上へはさも見えぬよしなり」と述べていることと、氷の下云々を除けば同じである。

  また、もう一つの考えとして、

    冬の池(にすむ) − つれもなく
    にほ鳥              − そこにかよふ

と「つれもなく」は「にほ鳥」よりも「冬の池にすむ」の方からつながっていて、「冷たい−冬の池/冷淡な−つれなし」ということも考えられなくはない。

 
       「つれもなく」は「つれもなく−かよふ」なのか「つれもなく−知らすな」なのか
        しかし、「つれもなく」が冬の池から 「冷淡な」ことを言っているとすると、冷淡な態度で恋人のもとに通う、というのは不自然である。一方、恋人のもとに 「そ知らぬ素振りで」通う、というのは他人には普通に自分の家に 「住んでいる」ようにみせて、密かに外出して相手の家にサッと入るという感じがあってイメージしやすい。

  また、「冷淡な」ということにこだわれば、「つれもなく」は 「そこにかよふ」を飛び越して 「人に知らすな」に掛かるのではないかと見ることもできなくはないが、言葉のつなぎとしてはやはり不自然であると思われる。

 
       「人に知らすな」とは誰に言っているのか
        あと問題なのは、最後の "人に知らすな" が誰に言っているか、ということだが、その可能性としてあるのは、
  • 恋の相手
  • 二人の関係を知る人物
  • 「にほ鳥」
ぐらいであろうか。このうち 「二人の関係を知る人物」というのは 「そこ(there)」という言い方からありそうな気も少しはするが、まずはずしてよいだろう。恋歌ということを考えれば、当然考えられるのは 「恋の相手」である。「相手が自分が密かに通っていることを人に喋ってしまう」という状況はありえないような気もするが、 649番の「みつとも言ふな あひきとも言はじ」という心と見ればおかしくはない。

  一方、「にほ鳥」を序詞として見ず、それに語りかける見立てで 「誰にも知られたくない」ということを言っているとも考えられなくもない。恋歌として動植物が使われる場合、「〜のように」という譬えや序詞として使われることが多いものの、同じ恋歌三の読人知らずの 634番の「あふ坂の ゆふつけ鳥は 鳴かずもあらなむ」という歌のようなものもあるからである。しかも 「にほ鳥」も 「鳥」なので 「鳴いて知らす」ということも筋としては通る。ただし、問題は「すむにほ鳥」ではなく、"すむにほ鳥" となっている点である。よってやはり 「にほ鳥」は 「つれもなく そこにかよふ」の序詞であると考えられる。

  「つれなし」ということを詠った歌の一覧は 486番の歌のページを参照。 「池の底」ということを詠った歌としては、秋歌下に次のような友則の歌もある。

 
275   
   ひともとと  思ひし菊を  大沢の  池の底 にも  誰か植ゑけむ
     

( 2001/12/04 )   
(改 2004/02/18 )   
 
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