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この友則の歌では 「紅」も 「隠れ沼」も共に序詞と考えられるが、どうも 「紅」と 「隠れ沼」がアンバランスである。序詞と承知した上で、忠岑の歌から 「ねぬなは」を借りると、「ねぬなは」は 「根・ぬなは」で、 「ぬなは」はスイレン科のジュンサイのことである。ぬるぬるしたその若芽は食用とされるが、その花は暗赤色である。 「紅」ほどはっきりした色ではないが 「隠れ沼」の上にその赤を見たい気もする。
また、"下にかよひて" という表現は、同じ友則の 607番の歌に「みなせ川 下にかよひて 恋しきものを」というものがあり、本居宣長は「古今和歌集遠鏡」でこの 「隠れ沼」の歌について「余材打聞ともに。下に通ひてを。たがひの心といへるは。わろし。かよひとは。たゞ沼水の縁の詞にていへるのみにて。歌の意はたゞ下に思ふことなり。」と述べている。
確かに歌単体で見れば、「みなせ川」の歌もこの 「隠れ沼」の歌も、どちらも 「忍ぶ恋」のように見える。ただ、古今和歌集の配列からすると、この歌は 「名を立てない恋」の歌群の中に置かれていて、続く 661番の躬恒の「冬の池に すむにほ鳥の つれもなく」という歌に 「沼・池」関係で引っ張られているような感じがあり、その躬恒の歌でも 「かよふ」という言葉が使われていることから、友則を含めた撰者たちの意図としては、「たゞ下に思ふことなり」ということではないように思われる。
「紅」を詠った歌の一覧は 723番の歌のページを、「恋死ぬ」という歌の一覧は 492番の歌のページを参照。
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