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少し前までは愛しいものとして持っていた恋の 「形見」も、今では憎いものとなった、これがなければ忘れる時があるかもしれないのに、という歌。
濁点なしの表記では 「あだ」も 「あた」も 「あた」で区別がつかないが、この歌の場合は全体の感じから、「あだ」(徒:=無益なもの)ではなく、より強い意味の "あた" (仇:=敵)であると一般的に解釈されている。思い出させるだけではなく、捨てようにも捨てられない気持ちがあるために、その 「形見」は自分を悩ます 「憎らしい敵」という存在になっている、という感じか。
"忘るる時も あらましものを" とは、将来のことというよりも、日々の生活の中での 「忘れる時間」ということであろう。逆にその 「形見」があるから 「忘るる時」なく相手のことを思ってしまう、ということである。 「〜なくは」という言葉を使った歌の一覧は 14番の歌のページを、「〜ましものを」という言葉を使った歌の一覧は 125番の歌のページを参照。
743番から四首続いた「形見」の歌がここで終わり、同時に恋歌四もこの歌で終わる。 「形見」という言葉を使った歌の一覧は、その 743番の歌のページを参照。
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