桜の花の散るをよめる | 紀友則 | |||
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似たような 「哀しみ」は、次の遍照の歌や業平の月に対する思いの中にも見ることができる。 |
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この二つの歌は友則の歌のように「無想」という感じではないが、紅葉や月に托すところを取り除いた後に残る透明な 「哀しみ」は同じである。 それに対し、同じような花への問いかけをしながら、この歌と対極にあるのが次の素性法師の歌である。友則のような歌が続くと思って古今和歌集を開く人は、このような駄洒落の歌が多いことにがっかりするだろうが、それは歌集としての 「幅」であり、それを楽しめる余裕を持ちたい。 |
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また、現代のようにソメイヨシノが狂い咲く様を見ては、この歌のように 「哀しみ」を感じるよりも、 「しづ心なく 花の咲くらむ」という感想を持つことが多い。 「久方の」という枕詞を使った歌の一覧は 269番の歌のページを参照。 |
( 2001/09/06 ) (改 2004/03/07 ) |
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