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       藤原の忠房が昔あひ知りて侍りける人の身まかりにける時に、とぶらひにつかはすとてよめる 閑院  
837   
   先立たぬ  くいのやちたび  かなしきは  流るる水の  かへり来ぬなり
          
     
  • やちたび ・・・ 何度も何度も (八千度)
  詞書は 「藤原忠房が昔親しくしていた女性が亡くなった時に、御悔みを言うためにおくった」歌ということ。 「あひ知りて侍りける人」は 834番の歌のページに一覧してあるように、恋人とは限らないが、ここでは昔付き合っていた女性、という意味であるような感じがする。

  歌の意味は、
先にあの世に行かなかった私の悔いとして、何度繰り返しても悲しく思われることは、流れる水が帰ってこないようにあの人が帰ってこないということです、ということ。 "先立たぬ" 
に「先にあの世に行かないで残った」という意味を掛けているかどうかは、微妙なところである。

  藤原忠房の歌は 196番など四首が古今和歌集に採られているが、この歌の背景である 「忠房−亡くなった人−閑院」の関係が不明なので、歌の真意はよくわからない。ただ、「先立たぬ後悔」と 「帰り来ぬ水」というかなり一般的なフレーズに挟まれた、 "やちたび" (八千度)という言葉が異常なほどに目立つ歌である。 「かなし」という言葉を使った歌の一覧については 578番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/14 )   
(改 2004/01/25 )   
 
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