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       紀の友則が身まかりにける時よめる 紀貫之  
838   
   明日知らぬ  我が身と思へど  暮れぬ間の  今日は人こそ  かなしかりけれ
          
        明日のことはわからない我が身だとは言え、今日は、あまりにも早いあなたの死が悲しく思われます、という歌。 "暮れぬ間の" という言葉は直接的には "今日" に掛かり「まだ死なない」ということを表しているが、歌全体としては 「まだ早い時」ということが掛けられているように思われる。

  古今和歌集の撰者の一人である紀友則の死については、その没年も含め詳しいことはわかっていない。続く 839番の忠岑の歌に「秋」とあるので、秋に亡くなったと思われる。

  歌全体からは、どこか一歩引いているような感じがしないでもないが、同族(いとこ)であり古今和歌集の撰という同じ仕事を行なっていた友則の死を、自分の身に振り換えて悲しむ貫之の姿を見てよいと思う。例えば次の歌では貫之の気持ちはより平らかで、この歌の第三句に見られるような心のひっかかりが感じられない。

 
834   
   夢とこそ  言ふべかりけれ  世の中に  うつつあるものと  思ひけるかな
     
        「かなし」という言葉を使った歌の一覧については 578番の歌のページを参照。

 
( 2001/08/01 )   
(改 2004/01/25 )   
 
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