さくらをうゑてありけるに、やうやく花咲きぬべき時に、かのうゑける人身まかりにければ、その花を見てよめる | 紀茂行 | |||
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紀茂行(もちゆき)は紀貫之の父。生没年不詳。古今和歌集にあるのはこの一首のみである。撰者の一人である貫之が唯一許した父の歌と言ってよいだろう。どこか、春歌上の 49番に「人の家にうゑたりけるさくらの、花咲きはじめたりけるを見てよめる」という詞書のある貫之の「今年より 春知りそむる 桜花」の歌を思い出させる。この歌と似た口調の歌としては、桜の花が水に散る姿を詠んだ次の菅野高世の歌がある。 |
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また、 "恋ひむとか見し" の「とか」は次の読人知らずの歌でも同じように使われているが、464番の読人知らずの物名の歌のように 「憂しとかは思ふ」と 「は」が入って 「か」の疑問形を強調した方が歌が落ち着く場合もある。 |
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「あだ」という言葉を使った歌の一覧は 62番の歌のページを参照。 |
( 2001/10/24 ) (改 2004/02/24 ) |
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