あるじ身まかりにける人の家の梅の花を見てよめる | 紀貫之 | |||
851 |
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主人が亡くなった家の梅の花を見て詠んだ、という詞書のある哀傷歌であり、一つ前の 850番の貫之の父の茂行(もちゆき)の歌が「桜」であるのに対して「梅」となっている。 その色も香りも昔と同じ濃さに匂っているけれど、植えた人の姿が足りず、恋しく思われる、という歌。詞書がなければ恋歌のような感じの歌である。出だしの部分が次の友則の歌とよく似ている。 |
57 |
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友則の歌と比べると "昔の濃さ" という言葉が少し固いような気もするが、それは 「色も濃く−匂う(視覚的に美しいこと)」「香も濃く−匂う(嗅覚的に芳しいこと)」に加え、それを飾る "昔の" が 「昔と同じ」という過去+現在の時間を含み、さらに "濃さ" が 「縁の深さ」を表わしているという、意味の凝縮しすぎで言葉が凝固してしまった結果によるものであるように感じられる。 「匂ふ」という言葉を使った歌の一覧は 15番の歌のページを参照。 |
( 2001/11/26 ) (改 2004/01/26 ) |
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