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       山の法師のもとへつかはしける 凡河内躬恒  
956   
   世を捨てて  山にいる人  山にても  なほ憂き時は  いづち行くらむ
          
     
  • いる ・・・ 入る
  • いづち ・・・ どこへ
  
俗世を捨てて山に入る人は、その山でも憂鬱さが晴れない時はどこへ行くのでしょう、という歌。

  詞書に 「山の法師」に送ったとか書かれているので、 "山にいる人" はその法師を指しているのであろう。軽い挨拶のようでもあり、子供の素朴な疑問のようでもある。法師の歌としては 947番の素性法師の「いづこにか 世をばいとはむ」という歌が思い出される。 「いづち行くらむ」と結ばれる歌には 153番に友則の「郭公 夜深く鳴きて いづち行くらむ」という歌があり、この歌と似た感じの歌としては、誹諧歌にある次の読人知らずの歌が連想される。

 
1061   
   世の中の  うきたびごとに  身を投げば  深き谷こそ  浅くなりなめ
     

( 2001/11/26 )   
(改 2004/02/06 )   
 
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