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       時なりける人の、にはかに時なくなりて嘆くを見て、みづからの嘆きもなく喜びもなきことを思ひてよめる 清原深養父  
967   
   光なき  谷には春も  よそなれば  咲きてとく散る  物思ひもなし
          
     
  • とく ・・・ すぐに
  詞書の意味は 「時勢を得て盛んだった人が急に凋落し嘆いていのを見て、自分にはそうした嘆きや喜びがないことを思って詠んだ」ということ。

  
光の射さない谷には春も訪れないので、咲いてすぐ散る心配もない、という歌。言葉の調子はよいが、根が腐っているような感じの卑屈さが感じられないでもない。元歌として 52番の藤原良房の「花をし見れば 物思ひもなし」の歌を押さえているのだろうか。 「よそ」という言葉を使った歌の一覧は 37番の歌のページを参照。 「光が射す」ということでは、この歌の逆を詠った次の布留今道(ふるのいまみち)の歌がある。

 
870   
   日の光  藪しわかねば  いそのかみ  ふりにし里に  花も咲きけり
     
        こちらは石上並松(いそのかみなみまつ)が 886年に従五位下に叙されたことを喜ぶ歌であり、共に喜びを分かち合おうという気持ちが見える。

 
( 2001/08/30 )   
(改 2004/02/24 )   
 
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