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       かつらに侍りける時に、七条の中宮のとはせ給へりける御返事にたてまつれりける 伊勢  
968   
   久方の  中におひたる  里なれば  光をのみぞ  たのむべらなる
          
     
  • おひたる ・・・ 生えている(生ひたる)
  詞書は 「桂にいる時に、七条の中宮(=藤原温子)が様子を尋ねる便りを下さった時に、その返事におくった」歌ということ。 「七条の中宮」は、宇多天皇の后で、伊勢が仕えていた藤原温子のこと。温子には子がなく、伊勢は温子の兄弟と浮名を流し、その後、温子の夫である宇多天皇との間に男子をもうけたが、温子と伊勢の仲は悪くなかったことがこの歌や 1006番の長歌などからもうかがえる。 「伊勢集」では、この歌の背景は、伊勢が子供を桂にある家に置いて温子のところで仕えていた時、伊勢が雨の降るのをぼんやりと眺めているのを、温子がかわいそうに思って、

  月のうちに  桂の人を思ふとや  雨に涙の  そひて降るらむ

と言い掛けた歌に対して答えた歌ということになっている。古今和歌集の詞書では、伊勢が桂にいて、そこで温子からの文をもらったことになっているが、状況的にはほぼ同じである。つまり、月に桂があるという言い伝えを元に、ここで詠われているのは伊勢自身や桂の場所のことではなく、桂の家にいる伊勢の子供のことである。

  歌の意味は、
月の中にある里ですので、そこで育つものはみな、その光を頼みにしていることでしょう、ということ。月の光を七条の中宮の恩恵に譬えている。 「久方の」という枕詞を使った歌の一覧は 269番の歌のページを、 「たのむ」を使った歌の一覧については 613番の歌のページを、「べらなる」を使った歌の一覧については 23番の歌のページを参照。

  古今和歌集の配列からすれば、 「光」で前の清原深養父とつながり、「里」で次の在原業平に送る位置に置かれている。

 
967   
   光 なき  谷には春も  よそなれば  咲きてとく散る  物思ひもなし
     
969   
   今ぞ知る  苦しきものと  人待たむ  里 をばかれず  問ふべかりけり
     
        伊勢と宇多天皇との子は、幼くして亡くなってしまったようである。「伊勢集」には 「このみかどにつかうまつりて生みたりし皇子は、五(いつつ)といひし年、うせたまひにければ...」とある(五が八になっている伝本もあるという)。似たような歌外の悲しみを持つものとしては、賀歌の最後の藤原因香の歌がある。

 
364   
   峰高き  春日の山に  いづる日は  曇る時なく  照らすべらなり
     
        これは醍醐天皇の第二皇子である保明親王の誕生時に詠われたものだが、保明親王は幼くして(二歳)で皇太子になったものの、 923年に天皇になることなく二十一歳で亡くなってしまった。醍醐天皇は宇多天皇の第一皇子。伊勢の子とは異母兄弟にあたる。  
( 2001/09/04 )   
(改 2004/02/26 )   
 
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