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       題しらず 平中興  
1050   
   雲はれぬ  浅間の山の  あさましや  人の心を  見てこそやまめ
          
     
  • あさまし ・・・ 興ざめする
  
雲が晴れない浅間の山のように、がっかりさせられる、あの人の本心を見極めるまではこの恋は終わりにしない、という歌。 「浅間の山」は、現在の長野県北佐久郡軽井沢町大字追分の浅間山。 「あさまの山」から 「あさまし」を導いている。

  この歌では、何を 「あさましや」と言っているのか、抽象的でわかりづらいが、
 "雲はれぬ" というニュアンスからは、煮え切らない、はっきりしない相手の態度をなじっているようである。 "あさましや" という口調からは、この誹諧歌は、中興(なかき)が女性の立場に立って詠ったものであるように思われる。 「雲/晴れぬ/山」ということでは他に、461番の貫之の「山辺にをれば 白雲の いかにせよとか 晴るる時なき」という物名の歌と、937番の小野貞樹の「山高み 晴れぬ雲ゐに わぶと答へよ」という歌がある。

  "見てこそやまめ" という言葉は、古事記や日本書紀に出てくる「撃ちてし止まむ」を思い出させる。この "見てこそやまめ" は、恋歌五に置かれた次の読人知らずの歌で使われている。

 
817   
   あらを田を  あらすきかへし  かへしても  人の心を    見てこそやまめ  
     
       「人の心」という言葉を使った歌の一覧については 651番の歌のページを参照。

 
( 2001/11/27 )   
(改 2004/03/10 )   
 
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