Top  > 古今和歌集の部屋  > 巻十

       よどがは 紀貫之  
461   
   あしひきの  山辺にをれば  白雲の  いかにせよとか  晴るる時なき
          
        「いかにせヨトカ ハるるときなき」という部分に 「よどがは」が入れられている。 「よどがは(淀川)」は現在の淀川と同じ(河口付近では現在の大川・堂島川・安治川)で、一つ前の同じ貫之の 460番の「かみやがは(紙屋川)」は桂川経由で淀川と合流するので、そのつながりと見えないこともない。

  歌の意味は、
山の近くにいると白雲が晴れる時がないように心が塞ぐ、いったいこの雲は私にどうしろと言うのか、ということ。歌の感じとしては、16番の「野辺近く いへゐしせれ」という歌や、216番の「秋萩に うらびれをれば」という歌を思い出させる。

   "あしひきの" という枕詞ではじめ、 "白雲の" という言葉でもう一度起こして、その後ろに "いかにせよとか" と差し込んでいる。なだらかなうねりがよい調べとなっている歌である。

  "いかにせよとか" という言葉を使った他の歌としては、恋歌四に次の読人知らずの歌がある。この貫之の覆い隠す 「白雲」に対して、そちらでは冷たく吹く 「秋(飽き)風」に合わせている。

 
725   
   思ふより  いかにせよとか    秋風 に  なびくあさぢの  色ことになる
     
        「白雲」を使った歌の一覧は 30番の歌のページを参照。

 
( 2001/08/12 )   
(改 2004/03/14 )   
 
前歌    戻る    次歌