歌たてまつれと仰せられし時よみてたてまつれる | 紀貫之 | |||
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"袖ふりはへて" の 「ふりはへて」は袖を 「振る」に掛けてあり、わざわざ付け加えられたそのノイズには、退屈さから逃れようとするもがきのようなものが感じられる。 詞書や 「若菜つみにや〜人のゆくらむ」(若菜を摘みに行くのだろうか)という推測のかたちから、この歌は屏風絵のための歌と解釈されることもあるが、特にこだわる必要はないだろう。それよりも憶測である 「春日野の若菜摘み」が、歌の中ではイメージを支える大切な役割をしていることに目を向けたい。万葉集の中では栗や萩や藤などと共に特に季節限定ではない場として詠われている 「春日野」も、古今和歌集では若菜や若草を伴って春のイメージに絞られ、古き都・奈良の春のフィールドとして、すでに名所化されているように見える。 |
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17番と18番は読人知らずの歌であり、357番の歌は素性法師が屏風絵に付けたもの、478番の歌は「春日の祭りにまかれりける時に」という詞書のある忠岑の歌である。忠岑の歌が実際に春日に行った時のものであるとすると、貫之のこの歌も似たような状況で、京から春日に向かう人たちの様子を、「春日野の若菜を摘みに行くのですか」と送ったとも考えられなくはない。 しかし、それでも後半の "袖ふりはへて" にある違和感は、何か歌の苦味として残る。それは「白妙の 袖」を振る、というピクニックで手を振り合うような状況と、「ふりはへて」(わざわざ)に含まれる「ご苦労さん」という気持ちが合わないことからきているようだ。 そこで 「ふりはへて」の方に焦点を合わせて、古今和歌集の配列を見てみると、この歌の前の二つは読人知らずと仁和のみかど(光孝天皇)の、 |
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という歌であって、春雨や雪が降る情景である。そこで 「袖を振る」という動作も、降りかかる小雪を払うようなしぐさであれば、「ふりはへて」と意味はぶつからない。加えて 「白妙の袖」や 「ふる」が 「雪」をポイントしているのではないか、というようにも考えることができる。もちろん 「白妙の袖」にキラキラした春の光を見ることも可能であり、どう見るかは結局読む側次第ということになる。 |
( 2001/12/11 ) (改 2004/03/10 ) |
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