|
|
|
詞書に「三月に閏月があった年」とあるのは、太陽太陰暦で季節と月のずれを直すために数年に一度入れる閏月のことである。「古今和歌集全評釈(上)」 (1998 片桐洋一 講談社 ISBN4-06-205979-7) の考察によれば、この歌が指している年は904年であるという。
桜花よ、春が一ヶ月加わった今年だけでもせめて、人の心に満足だと思われるほど咲いていて欲しい、という歌。 "あかれやはせぬ" は「あか+れ+やは+せ+ぬ」で「れ」は受動を表す助動詞「る」の連用形、「せ」は「為(す)」の未然形、「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形。問題は 「飽く」を 「満足する」と見るか 「飽きる」と見るかということと、「やは」を反語と見るか、疑問と見るか、ということである。
その前の 「だにも」(=せめて)から接続を考えると、意味的にはこの部分は 「満足に見たい」ということだと思われる。また、161番の歌の 「山彦は ほかになく音を 答へやはせぬ」が 「答えて+ くれない+だろうか」というニュアンスであり、「やは」を特に反語と見なす必要はないことを思えば、ここも 「満足されるようにして+くれない+だろうか」という意味ととっておきたい。
「やは」を使った歌の一覧については 106番の歌のページを、「だにも」を使った歌の一覧については 79番の歌のページを参照。
「桜花−人の心」を詠んだ他の歌としては、次の貫之の歌がある。
|
|