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       家に藤の花咲けりけるを、人のたちとまりて見けるをよめる 凡河内躬恒  
120   
   我が宿に  咲ける藤波  立ち返り  すぎがてにのみ  人の見るらむ
          
     
  • すぎがてに ・・・ 通りすぎづらい様子で
  
ウチの庭に咲いた藤を、通り過ぎた人がわざわざ引き返してきて、どうしたことか立ち去りがたそうに見ている、という歌。

  「立ち返る」という言葉は、「波」と共に使われることが多く、繰り返す場合と引き返す場合のどちらにも使われるが、ここでは一度通りすがりにフーンと見た人がもう一度引き返してきてじっと見ている、という感じであろう。 「藤波−立ち返り」という言葉のつなぎがこの歌の中心で、「藤波」はこの歌のメインテーマでありながら 「立ち返り」を導いていて無駄のない連結となっている。

  ちなみに古今和歌集の中で 「立ち返る」という言葉を使っている歌は次の通り。

 
     
120番    咲ける藤波  立ち返り  凡河内躬恒
474番    立ち返り  あはれとぞ思ふ  在原元方
626番    うらみてのみぞ  立ち返りける  在原元方
682番    水の白浪  立ち返り  読人知らず
734番    いにしへに  なほ立ち返る 心かな  紀貫之
816番    我が身こす浪  立ち返り  読人知らず


 
       "すぎがてにのみ" の 「のみ」は強調・限定の副助詞。よっぽど気が引かれるものがあると見えて、というニュアンスがある。 "見るらむ" の 「らむ」は推量の助動詞で、ここでは 「見ているのはどうしたことか」と原因を推し量っている。  「すぎがて」という言葉は 「我が宿」と共に 154番の友則の歌でも使われており、この躬恒の歌はそれをベースにしたものとも考えれる。 「がてに」という言葉を使った歌の一覧はに 75番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/11 )   
(改 2004/03/07 )   
 
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