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詞書にある「寛平の御時きさいの宮の歌合せ」は宇多天皇の時代に行なわれた歌合であり、「きさいの宮」(后の宮)とは宇多天皇の母である班子女王のことを指すと言われている。班子女王は桓武天皇の皇子である仲野親王の娘。歌合が行なわれた時期は、893年に編まれた「新撰万葉集」にこの歌合の歌があることから、それ以前のそう遠くない時期であろうとされている。古今和歌集の成立を 905年とすると、その約十年前に行なわれたものである。詞書にこの歌合の名があらわれる歌は古今和歌集に五十六首ある。
源当純(まさずみ)は生没年不詳。源能有の五男で 896年従五位下、907年従五位上。古今和歌集に採られているのはこの一首のみ。
歌の意味は、谷風にとける氷の隙間ごとに、現われる波こそ春の初花である、ということ。氷が割れてそこここから顔を出す水の様子を 「初花」に譬えている。 "うち出づる" という言葉に春の勢いを感じる。また、「氷」「浪」という言葉から花の色の白さを自然と連想させ、それを 「谷風」がさらうというようにイメージの連結が見事である。 「浪の花」ということを詠った歌の一覧は 250番の歌のページを参照。
「氷がとける」というつながりで、次の読人知らずの恋歌と合わせておきたい。
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