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       これさだのみこの家の歌合せのうた 藤原敏行  
228   
   秋の野に  宿りはすべし  女郎花  名をむつまじみ  旅ならなくに
          
     
  • むつまじみ ・・・ いとおしく思うので (睦まじ)
  
旅の途中ではないけれど、もうこれは秋の野に泊まるしかないか、オミナエシの女(をみな)という名をいとおしく思うので、という歌。 "旅ならなくに" は、ざっと読むと 「いとおしく思うので−旅にならない」と言っているように見えるが、「名をむつまじみ/旅ならなくに」と区切り、「旅ならなくに−宿りはすべし」であり、その理由が 「名をむつまじみ」と見た方が自然であるように思える。つまり、この 「なくに」は逆接(=旅でないのに)であろう。 「〜なくに」という言葉を使った歌の一覧は 19番の歌のページを参照。

  ただこの "旅ならなくに" の解釈には諸説あって、例えば本居宣長は「古今和歌集遠鏡」の中でこの歌全体を「
トマルナラ秋ノ野ニトマルガヨイ 女郎花ガアツテ女ト云名ガムツマシサニヨツテ寝ルヤウデハナイワサテ」と訳している。「名ガムツマシサニヨツテ寝ルヤウデハナイワサテ」の部分がわかりづらいが、どうも 「旅」を 「旅寝」と解釈して、「女郎花という名に誘惑されて寝るわけではない」という意味に見ているようである。また、「古今和歌集全評釈  補訂版 」 (1987 竹岡正夫 右文書院 ISBN 4-8421-9605-X) ではこの「なくに」を「詠みづめで、倒置法とは考えられぬ」として「反(か)へらぬなくに」(=逆接ではない「なくに」)の例であると解釈されている。

  "宿りはすべし" の 「べし」は決意・確信/勧誘・命令などの意味があり、ここではどのニュアンスかわかりづらいが、65番の 「いざ宿かりて」の 「いざ」という気持ちが含まれているように思える。

  また、この歌の背景には次の読人知らずの春の歌があるような感じがする。 「桜−女郎花」「里−野」という対比に加えて 「旅寝しぬべし」に 「旅ならなくに」と当てているようである。

 
72   
   この里に  旅寝しぬべし   桜花  散りのまがひに  家路忘れて
     
        さらに、古今和歌集の中では次のような歌が言葉の結びつきによりこの歌を取り巻いていて、まるでオミナエシの花群を見るようで面白い。
  • 226番の僧正遍照の歌 ・・・ 名にめでて 折れるばかりぞ 女郎花
  • 229番の小野美材の歌 ・・・ 女郎花 おほかる野辺に 宿りせば
  • 1016番の僧正遍照の歌 ・・・ 秋の野に なまめきたてる 女郎花
  • 1019番の読人知らずの歌 ・・・ うたたあるさまの 名にこそありけれ
  この歌の "名をむつまじみ" は 「睦まし」という形容詞に理由を表す接尾語の 「み」がついたかたちである。 「〜を+形容詞(の語幹)+み」という表現を使った歌の一覧については 497番の歌のページを参照。

 
( 2001/09/07 )   
(改 2004/01/19 )   
 
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