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       貞観の御時、りようき殿の前に梅の木ありけり、西の方にさせりける枝のもみぢはじめたりけるを、うへにさぶらふをのこどものよみけるついでによめる 藤原勝臣  
255   
   同じ枝を  わきて木の葉の  うつろふは  西こそ秋の  はじめなりけれ
          
     
  • わきて ・・・ 区別して
  詞書の意味は、「貞観の時(清和天皇の時代)、綾綺殿(りょうきでん)の前に梅の木があった。その木の西の方に向かって伸びた枝が紅葉しはじめたのを、殿上人たちが歌に詠んでいた際に詠んだ」歌、ということ。 「ありけり」という言い方には「今はないが」という含みが感じられる。

  
同じ木の枝なのに片側だけ分けて木の葉の色が変わっているところを見ると、まさに西から秋が来たのですね、という歌。 "西こそ秋の はじめなりけれ" というのは、五行説で西が秋に割り当てられていることを指していると言われている。 「秋のはじめ」という言葉は、この歌の置かれている秋歌下という位置からすると合わないが、木の葉の色が変わり始める時の歌としてここに置いたのであろう。また、詞書からすると、詠まれているのは梅の木だが、オーソドックスなかたちとして 「梅の花がうつろふ」ことを詠んだ歌としては春歌上に次の貫之の歌がある。

 
45   
   くるとあくと  目かれぬものを  梅の花   いつの人まに  うつろひぬらむ  
     
        「わきて」という言葉が使われている歌の一覧は次の通り。

 
     
255番    同じ枝を  わきて木の葉の うつろふは  藤原勝臣
292番    わび人の  わきて立ち寄る 木のもとは  僧正遍照
336番    誰かことごと  わきて折らまし  紀貫之
337番    いづれを梅と  わきて折らまし  紀友則
477番    なにかあやなく  わきて言はむ  読人知らず


 
        また、「うつろふ」という言葉を使った歌の一覧については 45番の歌のページを参照。

 
( 2001/12/06 )   
(改 2004/02/20 )   
 
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