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- わび人 ・・・ 失意の人
- わきて ・・・ とりわけ(別きて)
詞書にある「雲林院」は仁明天皇の第七皇子である常康親王が住んだ場所。古今和歌集では常康親王のことを「雲林院親王」と表わしている。親王はその死(869年五月)の直前(869年二月)、遍照にそこを任せた。この歌は秋歌下にあって哀傷歌に含まれるものではないので、869年の秋に詠まれたかどうかはわからないが、道具立ては揃っている。
 失意の人がとりわけ立ち寄る木の下は、今や頼みにする蔭もなくなり、紅葉も散ってしまった、という歌。常康親王の出家は父の仁明天皇の死を悼んでのものであり、遍照の出家もまた 847番の歌に見られるように同じ理由と考えられるので、その筋で考えると "わび人" は遍照の姿であると同時に親王の姿でもあり、 "わきて立ち寄る" というニュアンスは 「何故か私も親王もこの木の元に来てしまうな」ということだと見ることもできる。
"たのむかげなく もみぢ散りけり" とは、紅葉が頼む影が無くて散る、ということではなくて、失意の人ががつい頼みにと思って立ち寄るこの木も、繰り返しその失意のオーラを浴びたせいか、今やその葉陰も紅葉と散り落ちて枝ばかりになってしまった、という意味であろう。 「たのむ」という言葉を使った歌については、613番の歌のページを参照。
また、この歌は 「木のもとに立ち寄る」ということで、次の読人知らずの誹諧歌と響き合うようにも感じられる。
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