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       雲林院の木のかげにたたずみてよみける 僧正遍照  
292   
   わび人の  わきて立ち寄る  木のもとは  たのむかげなく  もみぢ散りけり
          
     
  • わび人 ・・・ 失意の人
  • わきて ・・・ とりわけ(別きて)
  詞書にある「雲林院」は仁明天皇の第七皇子である常康親王が住んだ場所。古今和歌集では常康親王のことを「雲林院親王」と表わしている。親王はその死(869年五月)の直前(869年二月)、遍照にそこを任せた。この歌は秋歌下にあって哀傷歌に含まれるものではないので、869年の秋に詠まれたかどうかはわからないが、道具立ては揃っている。

  
失意の人がとりわけ立ち寄る木の下は、今や頼みにする蔭もなくなり、紅葉も散ってしまった、という歌。常康親王の出家は父の仁明天皇の死を悼んでのものであり、遍照の出家もまた 847番の歌に見られるように同じ理由と考えられるので、その筋で考えると "わび人" は遍照の姿であると同時に親王の姿でもあり、 "わきて立ち寄る" というニュアンスは 「何故か私も親王もこの木の元に来てしまうな」ということだと見ることもできる。

  "たのむかげなく  もみぢ散りけり" とは、紅葉が頼む影が無くて散る、ということではなくて、失意の人ががつい頼みにと思って立ち寄るこの木も、繰り返しその失意のオーラを浴びたせいか、今やその葉陰も紅葉と散り落ちて枝ばかりになってしまった、という意味であろう。 「たのむ」という言葉を使った歌については、613番の歌のページを参照。

  また、この歌は 「木のもとに立ち寄る」ということで、次の読人知らずの誹諧歌と響き合うようにも感じられる。

 
1068   
   世をいとひ  木のもとごとに    立ち寄りて   うつぶし染めの  麻の衣なり
     
        「わび人」という言葉を使った歌としては次のようなものがある。 「わきて」という言葉を使った歌については、255番の歌のページを参照。

 
     
292番    わび人  わきて立ち寄る 木のもとは  僧正遍照
840番    時雨に濡るる もみぢ葉は  ただわび人の 袂なりけり  凡河内躬恒
841番    はつるる糸は わび人  涙の玉の 緒とぞなりける  壬生忠岑
985番    わび人  住むべき宿と 見るなへに  良岑宗貞


 
        他にも「わぶ」「わびし」「〜わぶ」「わびしら」のようなものもあり、それらについては以下のページを参照。
  • わぶ ・・・ 937番
  • わびし ・・・ 8番
  • 〜わぶ ・・・ 152番
  • わびしら ・・・ 451番
 
( 2001/12/12 )   
(改 2004/03/12 )   
 
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