同じつごもりの日よめる | 凡河内躬恒 | |||
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この歌は秋歌下の最後の歌であり、紅葉が散り落ちた後の様子を、去っていった旅人が幣を手向けとして撒いた後の様子になぞらえているのであろう。魂が抜けて秋の行方を空中で探しているような透明感がある。 「ぬさ」という言葉を使った歌の一覧は 298番の歌のページを参照。 詞書にある「同じつごもりの日」とは、一つ前の貫之の「夕月夜 小倉の山に 鳴く鹿の」の歌の詞書にある長月(旧暦九月)の末日を指す。 四季の部のうち春歌下と夏歌のしんがりも次のように躬恒が務めている。 |
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ちなみに冬歌の最後は342番の貫之の「ゆく年の 惜しくもあるかな ます鏡」の歌となっている。 |
( 2001/09/03 ) (改 2004/03/09 ) |
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