秋のうた | 兼覧王 | |||
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紅葉が散るのを 「幣を手向ける」と見る歌は、313番の躬恒の「道知らば たづねもゆかむ」の歌をはじめ次のような歌に見られるが、この歌ではそれを、「行く秋(=竜田姫)」が幣を手向ける(=旅の安全を願う)と言うならば、きっとその対象の神様がいるはず、という方向に振っているのが味となっている。 |
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実際、「その対象の神様がいるはず」というのは 「木の葉を幣と手向ける」ということの前振りに過ぎず、それを「どんな神か」と詮索するのは野暮なことであるが、詮索したくなるのもまた一つの人の性であって、例えば「古今和歌集全評釈 補訂版 」 (1987 竹岡正夫 右文書院 ISBN 4-8421-9605-X) で紹介されている「毘沙門堂古今集注」では、後撰集巻七419の次の読人知らずの歌を引いて、「竜田姫ノタムケニハ海童(ワタツウミ)ノ神ニタテマツリ...」と見ている。 わたつみの 神にたむくる 山姫の 幣をぞ人は 紅葉といひける 「幣」という言葉を使った歌をまとめておくと次の通り。また、上記の421番の素性法師の歌は、「幣」という言葉を使わずに「紅葉−幣」ということを詠ったものである。 「大幣」については 706番の歌のページを参照。 |
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( 2001/10/31 ) (改 2003/11/23 ) |
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